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Why We Play vol.13:佐野健二【前編】

音楽と人、そして楽器。さまざまな表現手段の中から、なぜベースを選んだのか? そんな素朴な疑問にフォーカスを当て、プレイヤーの内面に深く迫る連載企画「Why We Play」。今回は、80年代前半よりカラパナのベーシストとして活躍、84年には“初来日”を果たし、ここ日本でも人気を博した佐野健二が登場。90年代半ばより、globeや安室奈美恵のミュージックディレクターを務め、約11年に渡って安室奈美恵のツアーのベーシスト兼バンドマスターとして活躍してきた。その後もEXILEとの出会いなどを通じて、若いミュージシャンのフックアップに尽力。国内有数の大舞台を手がけてきた佐野が考える、人生の“基盤=ベース”とは?

Why We Play
“My life is Bottom”なんです。 ボトムから仕切ることで、みんながハッピーになれる。
 

―  改めて、ベースという楽器と出会った時の原体験を聞かせてください。

佐野健二(以下:佐野) それはもう音楽と出くわしたときとほぼ同時で、僕の場合はザ・ビートルズなんですよ。本当にラッキーなことに、リアルタイムで体感できたんですが、ビートルズを聴いた時は、とにかくびっくりしました。その頃はまだ小学5年生くらいだったので、何かカッコいいなっていう感じだったのですが、映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」を観て、次の日にギターを買ってもらって…わかりやすいですよね(笑)。あとは「With a Little Help from My Friends」のベースがヤバくて、それでベースが好きになりましたね。

―  5歳からインターナショナルスクールに通っていたことが、自分の音楽の原体験に影響していると思いますか?

佐野 すごく影響があったと思うし、ラッキーだったと思います。まず歌詞が理解できるじゃないですか。そもそも、ビートルズを聴かせてくれたのも外国人の先輩たちがきっかけでした。そして、ビートルズやストーンズのことを、英語で一緒に話せたことがラッキーだったと思いますね。それからは、いろんな音楽を聴き始めたんですよね。日本ではグループサウンズが出てきていましたし、あとはアニマルズやワイルドな音楽を聴き始めて。そして、ジミ・ヘンドリックスやクリームなど、いわゆるパワートリオが出てきた頃に、当時に通っていた名古屋のアメリカンスクールでトリオのバンドを組んだんですよ。そのバンドでは、曲によってベースやドラムをやったり、ギターを弾いたりしてパートチェンジしていたんですね。その中でベースが面白いって思い始めたんです。

―  大学時代よりアメリカで過ごされていますが、そこでの音楽との関わり方は?

佐野 大学では野球とフットボールをやっていたのですが、寮で黒人たちと接する中で、どうしてもパーティに行きたくて。仲間に入れてくれるかどうかっていう時に、黒人たちの前でベースを弾いたんです。その時に彼らがすぐにイエイ!って反応してくれたんですよね。音楽があったからこそ、そういったコミュニティにも入っていけたし、パーティでもフレンドリーになれた。いろんな場面で音楽に助けられていますね。音楽とスポーツがあったから僕の人生…こんなことになっちゃったんですよ(笑)。

―  いやいや(笑)。アメリカと日本の文化との間で、それらをつなぐのが音楽だったわけですね。

佐野 そうです。僕が以前に作ったソロアルバムのタイトルが「Culture Chameleon」(2011年)なんですけど、自分でもそう思っているんです。どこにいても溶け込めるし、理解もできるし、肌の色が違うとかじゃなくて、同じ人間なんだっていう考えをキープできるのも音楽があったから。それは簡単なことじゃないけれど、音楽があったからそういうふうに考えられたんじゃないかな。

―  音楽は欠かせないものだったんですね。

佐野 向こうには “Music Speaks Louder Than Words” っていう良いことわざがあって。言葉で言うよりも音楽のほうが伝わりやすいこともあるんです。CM7のコードを弾くと和むし、Am7を鳴らせば悲しくなるし、sus4をずっと弾いていたら宙ぶらりんな気持ちになる…心をつなぐには音楽のほうがわかりやすいんです。

―  ベースという楽器を弾くこととミュージックディレクターとしての仕事、これらに共通点はありますか?

佐野 それもよく聞かれるんですよね。“何でベースなんですか? なぜキーボードじゃないんですか?”って(笑)。アメリカでのMD(ミュージックディレクター)とは、ミュージシャン同士のコラボレーションなど、音楽の全体像を見て考える人のことなんです。それは、楽曲のアレンジも含めてすべてを見ることであって、バンドを仕切るだけとか、バンドで一番ギャラが高いとか(笑)そういうことではない。そこにいる全員の理解度を高めて、そのアーティストとどれだけ良い仕事ができるか。そして、ファンの方々がお金を払って観に来てくれて、最終的に“ああ良かった”って感じてもらえて。さらに、そのアーティストが周りから“すごい!”って言われることが、僕たちにとっての“良い仕事をした”っていうことなんです。僕はとにかく、それに徹したんですよ。これをやりたくてずっとやっているし、それがベースだと思っているんです。つまり“My life is Bottom”なんです。ボトムからすべてを仕切ることで、みんながハッピーになれる。だから僕に一番向いている職業なんですよ。

―  しかも、現在は日本国内でもビッグなアーティストを手がけていますよね。

佐野 一時期、バッシングされたこともあったんですけどね(笑)。カラパナとしての活動を経て、94年頃にジェイ・グレイドンのワールドツアーに参加したんですが、その次に手がけた仕事が安室奈美恵さんだったんです。その当時は一部から“何でアイドルに携わっているの?”って言われたんですよ。“いやいや、アイドルじゃないよ。これからこのアーティスト、すごいことになるよ?”って思ってミュージックディレクターを引き受けていたのですが、結果、11年ほどやらせていただいて…ほら、間違ってなかったじゃないですか(笑)。また、矢沢永吉さんとも1年やらせていただいたし、今、手がけているEXILE ATSUSHIにもつながっていくんです。

―  国内のリスナーの認識では、AORとフュージョン、そしてJ-POPっていうフィールドがまだ分断されていていたんでしょうか。そこにジャンルは関係ないはずなのに…。

佐野 まったくその通りなんですよ。“Good music is Good music”…型にはめる必要なんてないんですよね。そもそも、カラパナって元祖サーフロックって呼ばれていたんですよ。ベンチャーズやカラパナ=夏、みたいな(笑)。その一方で、「Black Sand」っていうインスト曲があるからか、カラパナはフュージョンバンドだって言われたこともあるんです。“フュージョン? どう見てもアロハシャツ着てるんだけどな…”って(笑)。だからどういうプレイヤーですかって聞かれたら、僕はいつも“I Just play the Pocket”って言うんですよ。

―  ポケットを弾く…。

佐野 グルーヴを作るっていうことですね。“1は正しく、2、4はヨロシク!”みたいな(笑)、そんなタイムの感じ方というか。音数よりも、どこにポケットがあるか、それをちゃんと弾くっていう。これが“ポケットプレイヤー”なんだと思います。

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American Elite Jazz Bass® V

Why We Play

第4世代ノイズレスピックアップや18V駆動のプリアンプを搭載することで、ヴィンテージスタイルのサウンドをノイズレスで実現。9.5~14インチのコンパウンドラジアス指板を採用し、モダンなプレイにも対応する。ネックはモダンCシェイプからネックヒールにかけてDシェイプに変化する、コンパウンドシェイプとなる。
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PROFILE


佐野健二
55年8月6日生まれ、兵庫県出身。5歳よりアメリカンスクールに通ったのち、アメリカの大学に進学するために渡米。83年にカラパナへ加入。その翌年には初来日を果たす。88年、角松敏生と共同で中山美穂のアルバム「CATCH THE NINE」のプロデュースを手掛ける。以降、日本のアーティストのプロデュースを手がけるようになる。94年、ジャッキー・グラハムの音源制作に携わる。ジェイ・グレイドンの日本とヨーロッパのツアーに参加。96年よりglobe、安室奈美恵のミュージックディレクターを務める。約11年に渡り安室奈美恵のツアーのベーシスト兼バンドマスターとして活躍。01年から1年は、矢沢永吉のツアーにベーシスト兼バンドマスターとして参加。04年にEXILEと出会い、ミュージックディレクターとしてEXILEのレコーディングやライヴに深く関わる。現在もEXILE ATSUSHIのサポートや、若手アーティストのミュージックディレクターとして手腕を振るっている。
› Website:https://avex.jp/kenji-sano/