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Story of Eric Clapton Signature【前編】

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今でこそエレクトリック・ギターの頂点に君臨するストラトキャスターだが、1960年代前半のサーフミュージックの台頭によるフェンダー・ジャガー、ジャズマスターへの人気偏向、さらに60年代半ばのビートルズを頂点とする英国勢の侵攻により、ストラトは製造中止寸前にまで追い込まれた時期があった。それを救ったのがジミ・ヘンドリックスの登場である。

しかし現在のストラト隆盛の基を築いたのが、エリック・クラプトンであったことは誰にも否めない事実だ1969年末の工リック初のソロアルバムで使用されて以来、ストラトは常に工リックの傍らに居続けている。

もはや工リックの分身ともいえる彼のシグネチャー・ストラトが、2001年秋、13年振りにモデル・チェンジされた。この好機に、このギターに関するフェンダーの内部記録を再構築して、エリック・クラプトン・ストラト製作にまつわるインサイド・ストーリーの決定版をお届けします。


クラプトン・シグネチャー前史
 

1984年、フェンダーはCBSの傘下を離れ、フェンダー・ミュージカル・インストルメンツ社が設立された。この時期のフェンダーは最も業績的に苦しんだ時期だったが、それを打開するために当時マーケティング・マネージャーであったダン・スミス(現ギター開発 部/カスタムショップ最高責任者、2006年に引退、2016年逝去)がエリック・クラプトンにコンタクトを取った。すべてはここから始まっている。ダンがクラプトンに 初めて会ったのは1984年初頭のことで、この会見でクラプトンは当時の彼のメイン・ギターだったブラッキーの引退をほのめかし た。ブラッキーは50年代と60年代のストラト数本から組み上げたといわれるが、長年に わたるハードなツアーにより傷みが激しくなっていたのである。この時に初めてブラッ キーに代わるシグネチャー・モデルの製作についての話が出ている。

1985年4月、ダンは再びエリックを訪ねた。この時エリックはアルバム「Behind the Sun」をリリースしたばかりで、同時にリリースしたシングル「Forever Man」が大ヒットしており、そのセールスをサポートするためのアメリカ・ツアーのリハーサルでマイアミに滞在中であった。ダンの訪問のもう一つの理由は、エリックの所属するレコード会社ワー ナーブラザース側から、ニュー・アルバムの プロモーションでフェンダー・ギターを購入したいとの申し入れがあり、これをエリックに見せるためであった。

ダンが持参したギターは工リート・ストラトキャスターであったが、その最大の特徴はミッド・ブースターを搭載していることである。エリックはこのブースト・サウ ンドを非常に気に入り、これを搭載したシグ ネチャー・モデルの話がここで再燃している。この会談で決定したことは次の通りだ。

  • (1)ネック形状がブラッキーと同じであること
  • (2)エリート・ストラト同様にノイズレス機能 の付いたピックアップであること
  • (3)ミッド・レンジのブースト機能を搭載すること(ただし エリート・ストラトの場合5dbのブーストだったがこの数値をより高くする)
  • (4)基本的にはヴィンテージ・タイプのルックスであること。

等であった。そして1カ月に及ぶツアーの間、ダンと工リックはさらに詳細を詰めて行き、カラーもトリノ・レッド、ピューター、キャンディ・グリーンの3色に決定、ネックはシャープなVタイプとすることなどが決まった。ここにいよいよクラプトン・シグネチャーの第一歩が踏み出されたのである。

プロトタイプの製作過程
 

1985年末、フェンダーが新たにスタートさせたカスタムショップに、ビルダーとして ジョージ・ブランダが加わった。フェンダーでのブランダの最初の仕事となったのが、クラプトン・ストラトの開発である。早速プロトタイプの製作に取りかかったブランダだが、ネックの形状に関して頓挫してしまう。そのためダンがエリックと交渉し、何とプラッキーのネックをはずして、それをエリックの代理人2人がイギリスからカリフォルニアまで手運びされることになったのである。1986年1月のことであった。これによりブラッキーの正確な模造ネックが製作され、本物は直ちにエリックに戻されている。さらにブランダは、ブラッキー・コピーを含めてわずかに異なる6種類のVシェイプのネックを製作し、この中からエリックがシグネチャー・モデル用のネックを選定できるようにした。ー方、ピックアップの選定に関してフェンダーではドン・レースの新開発品に注目し、交渉していたが、これは後にフェンダー・レースセンサー・ピックアップとして結実する。これは新しい発想によりハムノイズを極端に減少させた、シングルコイル・タイプのピックアップであった。

さらにミッド・ブースターの開発については、エレクトロニクスの開発部門のボブ・ヘイグラーが担当した。エリート・ストラトに搭載されていたブースターを改良し12dbまでパワーアップさせたが、工リックからはこれでもまだ十分ではない(エリック自身の表現では、まだコンプレッションが足りない)という返事があり、結局25dbでエリックのOKが出ている。これは現行品と同じ数値である。

1986年3月、ダンは渡英し再びエリックとミーティングを持ち、例の6本のネックからの選定結果をエリックから受け取った。エリックが選んだのは、特別にシャーブなVタイプと、それよりややソフトなV形状の2本のネックであった。ダンはそれらを持ち帰り、ジョージ・ブランダがシャープなVネックはトリノ・レッドのボディに、ソフトなVネックはピューターのボディにそれぞれ組み込んだ。

こうして、エリックとダンの最初のミーティングから2年の歳月を要して2本のプロトタイプがここに完成したのである。

工リック・クラプトン・ ストラト発売
 

フェンダー社のダン・スミスの記憶によると、エリックにプロトタイプを手渡した時期を1986年8月としているが、これは恐らくダンの記憶違いだと思われる。というのも、1986年6月20日にロンドンのウェンブリー・アリーナで開催された「プリンス・トラスト10周年記念ライブ」に出演したエリックが、既にこのトリノ・レッドのプロトタイプを使用しているからである。ポール・マッカートニー、ロッド・スチュアート、エルトン・ジョン、ティナ・ターナー等、大勢のビッグ・アーティストが出演したこの日の映像はビデオ化され市販されているため、容易に確認できる。ではエリックがこのギターを手にしたのはー体いつであろう。その鍵となる情報がフェンダーの内部記録に残されていた。それによると、プロトタイプを非常に気に入ったエリックは、既に録音がほぼ完了していた最新アルバム(当初「One More Car, No More Rider」のタイトルが後に「August」に変更された)の収録曲のいくつかのソロ・パートをこのギターで録り直した、ということである。「August」のレコーディングが行われたのは、1986年4月から5月にかけてであることから推測すると、このプロト・ギターがエリックの手に渡ったのは恐らく1986年5月末から6月初めだと思われる。

2本のプロトタイプの内、エリックが当初気に入っていたのがトリノ・レッドのギターである。しかしネックに問題点が発生したため、ピューターのギターを使用し始めたが、やがてこれが彼のメイン・ギターとなった。その後、数カ月を掛けでエリックに"試運転"をしてもらい、正式にエリックとの契約に漕ぎ着けたのは1987年5月のことである。

ところでこの"試運転"期間中に、このギターの開発を担当してきたジョージ・ブランダはギター企画開発部門に移り、エリックとのプロジェクトはカスタムショップのマイケル・スティーヴンスとジョン・ペイジが引き継いでいる。エリックとの契約が成立したことを受けて、マイケルとジョンはさらに4本のシグネチャー・モデルを、エリックとNAMMショー(米国で年2回開催される楽器のトレード・ショー)用に製作した。このギターは87年夏のNAMMショーにて発表されている。ところがショーに出展されたサンプル・ギターは、現行の同モデルとは少々異なる特徴を持っていた。現行モデルではヘッドに貼られたエリックのシグネチャー・デカールが、このサンプルではボディの角部分にあった。また、バッテリーが無くなった時のためにパッシヴとアクティヴの切り替えスイッ チが付けられ、ネックはトリノ・レッドのプロト・ギター同様シャープなV形状であった。

クラプトン・シグネチャー・モデルはNAMMショーで発表されたにもかかわらず、しばらく出荷されないままであった。その間、細かな変更が施されていたのである。シグネチャー・デカールはヘッドに移り、ネックはピューターのプロト・ギターと同じソフトなV形状となり、アクティヴの切り替えスイッチは取り払われた... すなわち現行仕様への変更がなされた。こうして無事に1988年3月、工リック・クラプトン・シグネチャー・ストラトが出荷されたのである。

› 後編に続く


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