#FenderNews / Why We Play vol.4

Why We Play vol.4:野村義男 インタビュー【後編】

音楽と人、そして楽器。さまざまな表現手段の中から、なぜギターを選んだのか? そんな素朴な疑問にフォーカスを当て、プレイヤーの内面に深く迫る連載企画「Why We Play」。スーパーギタリストにして、ギター収集家としても知られる野村義男さんを迎えたインタビューの後編をお届けします。

Why We Play
"スーパースターも夢じゃない"っていうのは
本当にエレキギターのためにある言葉なのかもしれない。
 

―  元々アイドルだった野村さんが、プロのギタリストになるのは想像以上に大変だったと思うんですけど、なぜいばらの道を選んだのですか?

野村義男(以下、野村)   すごく簡単です。まず、ギターが好き。あと、音楽が好き。ロックが好き。それだけです。芸能事務所を辞めて、自分で確定申告をすることになるわけですけど、職業欄に"タレント"って書くのはカッコ悪いなと思ったし、そもそも"タレント"っていう項目もなくて。だけど"音楽家"という項目はあるんですよ。それで、音楽家になろうって思って他の仕事は一切しませんって決めたんです。そうすると、仕事がまったくないわけです。ギターの仕事も作曲の仕事も最初はまったくない。そもそもテレビの中で"イェーイ!"みたいにしてた人が、急に"今日から音楽家でーす"と言ったところで誰も仕事なんかくれるはずがなくて。でもね、本当にこれしかできないんですっていうのをずっと示していくとね、ちょっとずつギターの仕事が来るようになって。でもそこでまた"バラエティーもよろしく!"ってなっちゃうと同じことになるので、バラエティーの仕事が来ても"ギターを持ってる仕事じゃないと露出しません"って断ったの。僕はいつでもこの人(ギター)と一緒ですって決め事を作ったら、ギターの仕事しかなくなってきちゃって今日に至ってます(笑)。

―  (笑)。仕事がなかったときはどうやって食べていたんですか?

野村   その時点で相当なギターオタクで毎日楽器屋に行ってたから、店員さんとか店長さんとも友達で。で、お腹が空いたら楽器屋に行くの。そうすると店長さんが"ちょっと野村くんと打ち合わせ"と言って僕を連れて、裏の喫茶店に行ってハンバーグ定食を食べさせてもらうような生活でした。つまり、楽器屋さんが僕を生かしてくれたの。だから僕はギターをいっぱい買うんです。で、メディアに出る度に違うギターを持つの。そうすると"今日、ヨッちゃんが使ってたあのギターって何だろう?"ってギターに興味が沸く人が出てきて、楽器屋さんに行ってくれて"これだ!これが欲しい!"ってなってくれたら、僕は楽器屋さんへの恩返しができるので。

―  でも、アイドルだったときと比べると生活も一変するわけで、心が折れそうにはならなかったですか?

野村   ならなかった。その間はギターの勉強をしていたから。練習じゃないよ、勉強。つまり、レオ・フェンダーが何年に最初のTelecasterを作り始めたとか、そういう勉強をしてるだけで幸せだったから。

―  そうやっているうちに、プレイヤーやコンポーザーとしても仕事が来るようになったと?

野村   うん。しかもラッキーなことに、ギターがすごく好きでギターのことをたくさん知っています、いろんなギターや機材を持っていますとアピールしていたら、今度はすごくこだわりを持つ人から声をかけてもらうようになって。例えば大瀧詠一さんから連絡が来て、"何年の〇〇持ってる? アンプは何年のツインリバーブね"って言われてさ。"持ってません"って言うと仕事がなくなるから、それがいくらの仕事かわかんないけど、持ってなくても"持ってます!"って言って、その古いギターを買ってアンプと一緒にスタジオに持って行くの。で、"やっぱりこの音じゃなきゃダメなんだよ"ってなる。大瀧さんも知っているんだよね、本物を。だから本当に音楽好きな人って、楽器も好きじゃなきゃダメなんだって思った。もし、若いミュージシャンたちがこれからいいものを作りたいなと思ったら、楽器の練習じゃなくて楽器の勉強をしてみると相当変わると思うね。

―  ギターを弾いていて良かったなと思った瞬間はどんなときですか?

野村   テレビに出ていない時期はずっとスタジオの仕事をしていたので、いろんなセッションミュージシャン、先輩ミュージシャンたちと一緒にやることができたのね。で、ローカルCMのレコーディングで、日本を代表する有数のドラマーの方と2人っきりでやったこともあって。"とりあえず好きなように弾いてごらん。それに乗ってやるよ"みたいなことを言われて弾いたんだけど、あのときは嬉しかったな。そういう日本を代表するミュージシャンと一緒にプレイすることができたのは、僕がギターをずっと触っていたからなのでね。

―  エレキを弾いて何年でしたっけ?

野村   11歳から弾き出して今53歳なので…42年。そのうちの2年くらいはアコースティックギターしか知らない子供だったので、エレキとは40年くらいの付き合いですね。

―  そのエレキの魅力って何だと思います?

野村   まだまだ上があるってことかもしれないなぁ…。弾くことに関しては、もっと上手くなりたいと思わせてくれるものだから。もちろん若い人にアドバイスをしてあげるところぐらいまでは僕も来てはいるかもしれないけど、その若い人たちにも負けちゃうことがいっぱいある。"どうやって弾いてんの? それ"みたいな。つまり、ギタリストっていう枠の中では全員が先輩で、全員が後輩で、全員がライバルで、常に全員が上である感じ。ギターを始めて2年目の人と、ギターを始めて40年目の人、どっちが上手いかって言われたら40年目の人は2年目の人よりはるかに上手だけど勝てない部分がいっぱいある。2年目の人は40年目の人ほど弾けないけど、40年目の人よりはるかに勝てる部分があるっていう。常にギタリストの中にはそういう思いが渦巻いてるから、僕もそろそろちゃんと練習しなきゃダメだね。勉強じゃなくて(笑)。

―  最後の質問ですが、世の中にはピアノ、バイオリン、サックス…いろんな楽器がありますが、その中でエレキギターにしかない魅力って何だと思いますか?

野村   ピアノや管楽器などのクラシック楽器には左利き用がないんですよ。アコースティックギターは右でも左でも使えるデザインになっているけど、エレキになってから左利き用ができたの。それまでは音楽業界、楽器業界は左利き/右利き関係なく"楽器ってこういうもんです"って強制してきたわけです。だって、左利き用のピアノは誰も見たことないでしょ? でもエレキって左利き用がありますから、それだけ誰でも始められるんです。つまり、習わなくていい楽器。英才教育を必要としないし、むしろ英才教育を受けるとみんなが同じ弾き方になっちゃうので。エレキは特に。学校で勉強せずに弾いてるヤツらが、誰にも負けない個性を発揮して世界の頂点に立っている楽器です。そう思うと"スーパースターも夢じゃない"っていうのは本当にエレキギターのためにある言葉なのかもしれない。だから、みんなもっとエレキをやればいいのになぁって思いますね。

› 前編はこちら

 

野村義男
1979年、芸能界デビュー。1983年にはThe Good-Byeを結成。シングル「気まぐれONE WAY BOY」でデビューを果たす。その後、自身が中心となって「三喜屋野村モーター'S BAND」「三野姫」「Funk Rocket」「RIDER CHIPS」等を結成。1992年、ソロアルバム『440Hz with 〈Band of Joy〉』をリリース。1995年に自己のレーベル「PEGレーベル」を立ち上げる。現在は自身のバンド活動の他に、浜崎あゆみ、世良公則「GUILD 9」「音屋吉右衛門」、宇都宮隆「LIVE Ustu BAR」、田村直美「Sho-ta with Tenpack Riverside Rock’nRoll Band」など多くのアーティストにも参加している。

› 野村義男:http://www.pegmania.com/